こんにちはm(_ _)m衛生士の長山です
明日で東日本大震災から3年が経ちます
週末のテレビ番組も震災の特番がとても多く、3年前のなんとも言葉に出来ない辛さを思い出します
私の地元は茨城の北部・海岸寄り、祖母の家が北茨城の港町、福島との県境にあります
地震後しばらくは両親と連絡が取れず、テレビ画面に映る津波の映像、津波注意報の日本地図を見て、手が震えました
震災直後、母は北茨城におり、いつも通る海沿いの道路を急いで南下したのですが
みるみる海水が増えていき、引き返して山側に向かったとのこと
幸い無事に25㌔南の自宅に帰れたのですが、家の中は高所の物が落ちてきていて、
避難所に行ったのですが、満杯だと言われ車内泊・・
スーパーにも物は無く、お菓子を食べて過ごし、ライフラインも止まったので毎日水を汲む為に何時間も並んだそうです
しばらくして地元に戻った時には、車窓から見える地元の家々の屋根にはブルーシートが目立ち、塀は崩れ、墓石は倒れたまま・・
北茨城に二件あった祖母の家も、一件浸水で取り壊しました
テレビの中の風景が、見慣れた街にも現実に起こっているのをみて複雑な気持ちでした
この程度の被害でもかなりのショックでしたので、東北の映像を見ると、言葉が出ません・・
周りにも仙台や陸前高田出身の知り合いがいましたが、なんと声をかけていいのかわかりませんでした
3年経った今でも苦しんでいる人が大勢いるということを、被害が少なかった地域に住んでいると忘れがちですが、
まだまだ復興とは程遠い現状の東北のことを、常に忘れずにいたいと改めて思いました