アウシュヴィッツ強制収容所に行って参りました

アウシュヴィッツ強制収容所に行って参りました

こんにちはDHの打越です。

毎日の猛暑本当にいやですね。

アウシュヴィッツ強制収容所に行ってきました。

ポーランド南部のオシフィエンチムというところにあります。

今回はラッキーなことにアウシュヴィッツで唯一の日本人ガイドの中谷さんに

案内、説明をして頂きました。

1940年6月から1945年1月27日まで使用されていました。

《働けば自由になる》という門

 

 

 

 

 

 

 

当初はナチスに反抗するポーランド人を虐殺を目的としていたが、1~2年のうちに

ユダヤ人問題の最終的解決が決定されると、収容対象が変わりユダヤ人絶滅センターに・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

収容所に到着すると労働ができる25%を残して、残り75%(女、子供、高齢者)は

《シャワー室》と呼ばれるガス室に直行して虐殺されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

チクロンBという殺虫剤を投げ込まれて

苦しみもがき亡くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日数千人がガス室に送られたり、死の壁で銃殺されて焼かれて灰になって消えていきました。

1945年1月27日ドイツ敗戦によりナチスは崩壊して収容所はソ連軍により解放されました。

元所長のルドルフ ヘスは絞首刑になったそうです。

ガス室送りを免れた1000人ほどの餓死寸前のユダヤ人が救われたということです。

なぜ、こんな悲惨なできごとが起こってしまったのか、その背景を辿ってみると・・・

ドイツは第一次世界大戦に敗北して領土をとられ、賠償金も支払わなければならない立場に追い込まれます。

そこに、アメリカから端を発した世界大恐慌がやってきます。

イギリス、フランスではブロック経済というのを行います。

この政策は自分たちの国や植民地、自治領だけで貿易を行い他の国からの輸入品には高い税金をかけて

外国の商品が入ってこないようにする政策。

当時、植民地を持たない国といえば、ドイツとイタリアで経済は悪化・・・

≪もう、多少強引でもいいから、誰かこの状態をどうにかしてよ~≫と

国民は強いリーダーシップを持った人物を待ち望むことになる。

そこで現れたのがドイツではヒトラー、イタリアだはムッソリーニ、彼らはファシズムに走っていく。

ファシズムとは簡単に言ってしまえば、独裁政治によって軍事力を強化し、海外進出を狙おうという考え。

ヒトラーは国家を持たない民族集団のユダヤ人に脅威を感じていて、世界を支配されてしまうと

思っていたのでしょう。

ユダヤ人の人々は幼児期にユダヤ教の経典を暗記し、一生涯勉強から離れることはない。

1999年にアカデミー賞をとった《ライフ イズ ビューティフル>》を

ご覧になると強制収容所のことがわかると思います。

トランプさん、習近平さん、プーチンさんの行動には要注意ですね。

みなさま、身体に不調はなくても日本人の二人にひとりは癌になる時代です。

検診は必ず受けてくださいね。

それから、水分の補給を忘れずになさってくださいね。